空中都市 マチュピチュ世界遺産

マチュピチュ1
<br />” width=”150″ align=”left”vapace=”10″hspace=”10″>「マチュピチュ」を最初に知ったのは数年前。英会話スクールのカナダ人講師が一度訪ねてみたい場所として、マチュピチュの写真集を披露してくれた。<br />
<br /> 以来、この南米はアンデス山脈の頂に忽然と広がる「空中都市」マチュピチュが気になって仕方がない。世界遺産シリーズの第1回目にマチュピチュを取り上げてみたい。</p>
<p> 世界遺産マチュピチュ(Historic Sanctuary of Machu Picchu )ペルーに属し、世界遺産分類では「複合 遺産」。世界遺産登録年 は 1997 年 である。</p>
<p>  <img src= マチュピチュとは老いた峰の意だそうである。この空中都市は標高2400mの断崖絶壁上にあり、麓からは見ることができない。16世紀、スペイン人はインカ帝国を征服したのであるが、マチュピチュの存在には気がつかなかった。スペイン人から逃れるために、インカの人々が作った秘密都市だったのである。

 20世紀の初頭1911年、アメリカの考古学者、ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham III、1875年 – 1956年)によって発見され、世界に紹介されたマチュピチュは考古学界の最大の発見と賞賛されたのである。

  マチュピチュ3ハイラム・ビンガムが持ち帰った400点以上の出土品と、174体の人骨、スペイン人による古文書から、マチュピチュは、15世紀の第9代インカ皇帝の築き上げた王直轄の空中都市であると推定されたのである。 インカは文字を持たなかったが、インカについて知る手がかりとして、クスコの近くのインディオ、ワマン・ポマという人物が1615年に認(したた)め、そしてスペイン国王に送ったとされる書簡がある。なんとそれはデンマークの王立図書館にあった。書簡には456枚の絵が描かれており、インカ文明の謎を解く鍵として注目されているのである。

 マチュピチュの総面積は5平方km。住居跡の調査から、貴族をはじめ身分の異なる人々500人以上が暮らしていたことがほぼ判明している。彼等は、あの段々畑で農業にいそしみ、金属加工を行い、石造建築物を築造していったのである。当時、車輪というものを待たぬインカの人々が、いかにしておびただしい数のマチュピチュの建築物を作っていったか、その驚異の高度な文明の空中都市に思いを馳せる。

 ハイラム・ビンガムさてマチュピチュ発見者のハイラム・ビンガムは映画「インディ・ジョーンズ」のモデルである事も知られているのだが、オリエント急行が運営する豪華列車にもその名を残しているのである。

南米ペルーの二つの世界遺産、インカ帝国の古都「クスコ」と、空中都市「マチュピチュ」を3時間半で結ぶ列車が「ハイラム・ビンガム」である。列車にはクスコ五つ星ホテル「モナステリオ」のシェフが腕をふるい、食事をしながらの列車旅を楽しめるというわけだ。アマゾン河の源流域ウルバンバ川と並行し、アンデス山中を走行していく絶景続きの旅であるという。標高3000m以上の高所であるが故、列車内には酸素ボンベも常備されている。

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